実験とカネ

今日は朝は核のゴミ捨て、午後は科研費の応募説明会ということで、なんだか一日中出かけていて仕事にならんかった。科研費の説明会は3時間もあった。少しでも「当たる」可能性が上がるならと思って出席したが、概ね時間の無駄だった。それにしても基盤Cも早く完全電子申請にして、あの不毛な糊付け作業から解放してほしいものだ(現行は、1ページ目のみ電子申請という煮え切らなさ)。
ただ申請の煩雑さはともかくも、科学研究費補助金の使い勝手は以前に比べてずっと向上していて、この点では文部科学省のひとたちも大分骨折りをしてくれているのだと思う。問題は採択率の低さで、全体からいくと25%程度、申請4件のうち1つしか採択されないことになる。これは要するに、全体としてのパイの大きさが限られているからということだろう。科学研究費補助金の総額は過去10年くらいで急激に伸びて、12年前と比べると2倍にもなっているにもかかわらずだ。柳田先生のblogによれば、日本の科研費総額は武田薬品の研究開発費より少ないという。ただその記事は数字が少々古いようなので、いま調べてみたところH19年の科研費総額は1,900億円、武田薬品の研究開発費は1,490億円だそうな。したがって武田薬品1社よりは多いけれど、でも第一三共の1,330億円も合わせたら断然負けている。科研費の場合はこれを、5万件を超える課題で分けあっているわけだ。しかもこれは試薬とか機械とかを買う金だけでなくて旅費や間接経費まで含めた額ですからな。
この財政難の折柄、もっと科研費を増額せいということが適当かどうかはわからない。きちんと成果が出なければ納税者の理解は得られないという話ももっともなことだ。ただし何をもって成果とするかは難しかろう。一応科研費は学術振興を目的としているのであって、他省庁からのグラントのように「こんな風に役に立つ」あるいは「この目的のために役に立つ」研究をしなさいというものとは違うことになってる。だから科研費では学術的成果、最近の用語でいうなら「知的財産の形成」も成果と認めてくれる建前だが、それでも近頃「何の役に立つかわからない」研究は肩身が狭くなる一方に感じられる。ともあれ成果=論文を出すために競争的研究資金が必要で、その資金を獲得するために論文が必要という堂々巡りをしているうちになんだか金集めが目的化してしまう危険がある。ワシの所属する研究室の先々代の教授は「金がなければ実験なんか止めたらいいんですよ」と嘯いていたそうだ。まあその頃は硫酸一本あったらそれなりに実験できた時代だから今とはちょっと感覚が違うとは思うけれど、なかなかそこまで達観はできない。何より頭が足りない分は手を動かしてカバーするしかないからなぁ。